自分の場所


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 「久しぶりに、俺のうちにでも来いよ。」

 そう言われて行ったのに、玄関をノックしても彼の部屋からは なんの反応もなかった。  買い物にでも行ったのかなと思いながら、 僕はアパートの玄関でしばらく待つことにした。  1階の彼の玄関の前には、蚊が多い。  ズボンの上からはさすがに刺す事はできないだろう。  脚にまとわりついてくる蚊をそんな思いで眺めていると ピィーンという嫌な羽音が耳元でして、あわててその耳元を手で払った。

 蚊が多くて仕方ないので、アパートの外階段を上って4階まで上る。  4階の階段の手すり越しからは小さな公園と、そこにいる猫が見える。  猫はいつだって、一番居心地のいい場所を知っている。  ベンチの傍の小さな木陰の中に、2匹の猫がおさまっていた。  あそこにも蚊がいるのか、目をつぶったまま時々耳をぷるぷると振っている。

 たぶん昨日の今頃も、あの2匹の猫たちは、あそこでああやっていたんだろな。

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 「悪いんだけどさ、突然電話がかかって来て呼び出されてさ、今外なんだよ。  うん。 だからうち入ってて。  え? 鍵はポストの中に入っているからさ、悪いね。」

 こんな時電話は便利だ。  僕は1階に下り、かかってきた電話の通りにポストから鍵を見つけ、 鍵穴に鍵を差し込み、右に半回転させて鍵を開ける。  カシャ、という乾いた音が予想以上に大きく聞こえた。  なんだか悪い事をしているみたいだ。

 持ち主のいない部屋は居心地が悪い。  窓に寄りかかっていたギターを持ち、 弦をはじいてみた。  部屋中に音が広がる。  でもその音は、気持ち良く波紋のように広がるのではなくて、 ぎこちなく響いてゆく気がする。  ギターを持ったまま、口笛を吹く。  なんとなく変な気分。  学校の、自分のではない隣のクラスに入った時みたいだ。  そんな時は机の様子も、黒板の色も、窓から見える校庭の柳の木も、 自分の教室と大した違いもないのに随分とよそよそしく見えるものだ。  それと同じように、窓から入ってくる強い西日も、 ギターや口笛の音も、なんだかよそよそしい。

 僕は窓を開けようと手を伸ばした。  窓はカラカラカラと、乾いた音を少しだけ立てながらおとなしく開いた。  遠慮がちに窓から部屋に入ってきた風はぬるかった。  この風に色をつけるとしたら薄緑。  一つ深呼吸をして窓を閉めようとした時、 ガガーンと大きな音を立てて、後ろに立て掛けたあったギターが倒れた。  びっくりした。

 我ながら、そのあまりの驚き振りに、今僕がしゃっくりしていたら、きっとさっきの音で止まったんじゃないかな、と思った。

■ ■ ■

 持ち主のいない場所は居心地がわるい。  僕は彼の部屋を出る。  鍵を左に半回転させ、その鍵をポストに放り込む。  ガチャンと音がしたけれど、その音にもうよそよそしさは感じられない。

■ ■ ■

 外では夕方の涼しい風が吹いている。
 さっき4階の階段から見えた公園を通ると、ベンチの脇の木陰にいたはずの 2匹の猫は、こんどは西日の当たる砂場の脇に並んで座っていた。

 きっと明日の今頃も、あそこでああやっているんだろうな。







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