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昨日、少しの雪を落していった重い雲は、いつも隅っこに漂っているような
控えめな雲達も、全部引き連れてどこかに行ってしまったみたいだった。一年のはじめの、朝の光が眩しい。
幼い子供のような表現だけれども、空が笑っているみたいだった。
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そう言えば、僕が幼稚園に行っていた時に、絵を書く時間があった。僕の絵はいつも、画用紙の80%くらいが空だった。
「犬の絵を書く」という時も、画用紙のほとんどが空で、肝心の犬を画用紙の下の、中途半端なところに書いていた覚えがある。
そしてその絵の空は白だった。僕は白い画用紙に白いクレヨンを懸命にこすりつけた。そしてその白の上に所々灰色を塗った。
しかしそれを見た先生は変な顔をして、「空はこの色なのよ。」というと、僕のクレヨンの箱から、「空色」と書いた紙の帯の巻いてある長いクレヨンを僕に差し出した。
そして僕は幼稚園の先生の言う「空色」のクレヨンを眺めながら、
「空はいつも笑っているわけではないのに」と思って、でも先生に言われるまま、その「空色」のクレヨンで
さらにその上を塗りたくったものだった。でも今日の空は、本当にその「空色」だった。
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そんなことを思いながら、僕は一年で最初の笑った空の下、薄い雪の上を赤い自転車をこいでゆっくり走っていた。
もう年賀状を配り始めて2時間にもなる。自転車の前の黒い革のカバンにも、網のかかっている後ろのプラスチックの箱の中にも、
最初は溢れんばかりに入っていた年賀状は、もう残り少なくなっていた。
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年賀状を何十枚も束になって受け取る家が多かったけれど、最後に残ったのは、一枚の年賀はがきだった。
「お母さん、お元気ですか。家を出たきり長い間連絡もせず本当に申し訳なく思っています。お母さんには大変な心配をかけてしまいましたが、
今はきちんとした職に付き、彼ともうまくやっています。こち・・・」
「配達お疲れ様です。」
50代後半くらいの小柄な女性が、玄関ににこやかに立って僕を見ていた。
「い、いえ、あ、年賀状です。」
僕は、思わず途中まで読んでしまった年賀状を慌てて差し出した。
「あら、どうもありがとう。雪なので気をつけて下さいね。」
その女性は相変わらずほほ笑んだまま、僕からはがきを受け取ると、軽く僕に会釈してから、
大事そうにそのはがきを手に家に入っていった。
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おびただしい量の、思い思いのヘビの絵の年賀はがき。12年前の今日も、様々な気持ちの込められたヘビの絵の年賀はがきが
このように配られたのだろう。12年前も、同じような朝だったのだろうか。そして12年後はどうだろう。
また様々な気持ちの込められたヘビの絵の年賀はがきを、誰かが同じように配るのだろうか。そんなことを思うと、なんだか少し不思議な気分になった。
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雪道を走った自転車の黒いタイヤに、ぐるっと一周、氷の粒が付いて光っている。冷たくて固くなったタイヤと、すぐに溶けてしまうのに、とても嬉しそうに輝く氷の粒。
僕はこの様子がとても好きだ。年賀状を配り終えた自転車は、軽快に、薄く柔らかい雪の上を走る。
さっきの最後の年賀状の女性は、今どんな顔をしているのだろう。ふと、あの微笑んだ顔が浮かぶ。
空色の空は、なにもなかったように、まだ笑っている。
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