商店街でみかんを買う


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地下鉄に乗るために地下に下りた時には曇り空だったのに 、地上に出てきた時には重たい色をした雲から少し雨が落ちてきていた。

 まさか雨が降るとは思っていなかったので傘を持ってきていなかった。  僕は地下鉄の出口で、 さてどうしたものかと考えていたけれど、結局は雨宿りせずに駅から出て歩いて帰る事にした。

 霧のような雨は、見える限りの町を全部包み込んでしまっていて、その中に入っていく僕も、例外なく飲み込まれてしまった。
 そんなにたいした雨ではないなと心の中で呟いてみる。
 でも信号待ちの車の、巨大な目玉みたいなヘッドライトに照らされた光の道筋には、 たくさんの小さな水の粒がきらきらと舞っているのが見える。  こうやって見るとなんだか思ったよりも降っているみたいだ。  これが雪だったらいいのに。 別に理由なんてないけど。

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 商店街に入る頃には、雨の粒はさっきよりももっと小さく細かくなっていて、街灯に照らされた僕のコートには水の粒が光の粒になってくっついているのが見える。  このコート、買ったばかりなのになぁ。

 午後七時半の商店街は、雨のせいもあるのか、人通りもあまり無く閑散としていて、街灯の光も薄暗く感じるほどだった。


 「みかん買ってかないかい? おにいちゃん。」

 頬かむりをした八百屋のおばあちゃんが、僕に声を掛けてきた。

 「一袋ニ百五十円だけどさ、二百円にまけとくよ。 甘いんだから、食べてみぃ。 ほら、こっち入って。」

 じゃあいただきますと言いながら、僕は冷たくなった手でみかんをつまむ。 甘いけれど、ばかみたいに甘いと言うわけでなく、瑞々しくて美味しかった。  体の中に冷たいみかんが滑り落ちてゆくのがわかる。


 「傘忘れたのかい。 まぁこのくらいの雨、若いから平気さぁ。 たまには少し降ってくれないと、あたしなんかカサカサになって干からびちまうよ。」

 店先から外を眺めながら、そんな事を言って陽気に笑うおばあちゃんに対して、僕はそんなことないですよなどと相槌を打ち、何がそんなことないのかよく分からないなぁと思いながら一緒に笑った。

 「ほら、みかんの皮はここに捨てていき。」


 僕はみかんを買うことにして、その事を言うと、「なぁにそんな事気にしなくてもいいのに。」と言いながら僕からお金を受け取った。 いや、美味しかったんですよ、と言いながら、僕はみかんのたくさん入ったビニールの袋を受け取る。


 「もう今日は店閉めるからさ、明日になると悪くなっちゃうからこれ持ってってよ、ね。」


 おばあちゃんはそう言いながら、少し葉のくたびれた大根をみかんの袋に入れてくれた。 「でも僕一人なので食べられるかなぁ」と僕が言うと、  「なに、別に煮物なんかにしなくてもね、おろして食べても甘いから平気だよ。」と言いながら袋を僕に押しつけた。 お礼を言いながら、僕は冷たい小雨の黒い道に足を踏み出した。


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 犬の散歩をしている人と信号を待つ。 街灯に照らされた犬の茶色の毛皮にも、僕の黒っぽいコートにも、同じような光の粒が光っている。  突然、パタパタパタと犬は体を振り、光の粒を振るい落とす。 僕はみかんの袋を持っていない方の人差し指で、コートの胸のところを叩いてみる。 ポッという小さい音と一緒に、そこだけ円形に雨粒が落ちた。

 なんだかみかんの袋からはみ出しているくたびれた大根の葉が、犬の尻尾みたいだなと思った。 犬のほうを見ると、首を伸ばして上を向き、風の匂いを嗅いで深呼吸しているみたいな仕草をしていた。 僕には雨の匂いがうっすらとするだけだった。



 信号が青になる。
 止まった車のヘッドライトの光の帯に、光の粒が見える。

 その光のステージの中を、一人は犬を連れて、もう一人は、犬の尻尾みたいな葉のはみ出した、大根とみかんの入った袋をぶら下げて歩きだした。

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