イチョウの木


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 ある小さな町の、細い路地の曲がり角に、一本の大きなイチョウの木がありました。 そのイチョウの木がいつ芽を出したのか、その事を知っている人は誰もいませんでした。 だってこの辺りでは一番のお年寄りの、その土地の持ち主のおばあちゃんですら、 「ワタシが子供の頃から、この木は今と変わらないくらい大きかったのよ。」と、しわくちゃな顔で 言っていたくらいですから。 だからひょっとすると、そのおばあちゃんのおばあちゃんが子供の頃に、イチョウの木はひっそりと芽を出したのかもしれません。  そしてイチョウの木の下には、これまたずいぶんと古い、白いペンキの塗られたベンチがありました。  そのイチョウの木とベンチのある場所は、曲がり角とはいえ本当に細い通りでしたから、 車が通ることもほとんどなく、 ベンチにゆっくり座っていたって、車の往来にびくびくするなんてことはありませんでした。

 しかし、ある夏の終わりに、そのおばあちゃんは亡くなってしまいました。亡くなるその前の日に、 イチョウの木の下のベンチに白いペンキを塗り終わったというのに、次の日の朝には眠るように亡くなってしまったのだそうです。  だからお葬式に参列する人たちも、「あのおばあちゃんは随分と長生きして、それで前の日まではとても元気で、 ころっと逝っちゃったんだもんな。大した病気もせずに元気に生きて、幸せ者だったなぁ、あのおばあちゃんは。」 などと言って、曲がり角のイチョウの木の下、この間白い色が塗られたばかりのベンチの前を通って帰っていきました。 だからお葬式もジメジメした感じではなく、今まで元気に生きたおばあちゃんを祝福するような、 そんな感じで終わりました。

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 そしてその秋、作業着を着た何人かの男の人達が車でやってきて、その辺りの測量を始めました。 おばあちゃんが亡くなって、その土地を売りに出さなくてはならなかったのです。そして秋の終わりに、 黄色い色の工事ための大きな車が、真っ黒い煙りを吐きながらやってきて、 イチョウの木を切り倒していきました。何百年も立っていたのに、 ほんの数時間の内に切り倒されてしまいました。今まで、何十年もの間の秋と同じように紅葉した黄色い葉と、 今まで、何十年もの間の秋と同じようにぶら下がっていたギンナンが、ぽろぽろとまるで涙のように落ちました。 しかし男の人達は口笛を吹いたり、たばこを吹かしたりしながら、 細かく切り刻んだイチョウの木をどこかへ運び去ってしまいました。 抜けるような青い空の、ある日曜日の出来事でした。

 でも、小さくて真っ白なベンチは、まだそこにありました。ベンチの上には、 いくつかの黄色い葉といくつかの黄色いギンナンが 転がってくったりとしていました。 そこを通る犬や猫たちは、 昨日までそこからは見えなかった青い空を見上げて、イチョウの木がなくなったことをとても寂しく感じました。

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 イチョウの木のあった小さな町から、彼女がこの大きな町に移り住んで、ちょうど一年が経とうとしていました。 コンクリートやアスファルトに囲まれた世界と、高いビルに縁取られた四角い空に少し疲れていました。 急に去年まで住んでいた、あの小さな町に遊びに行きたいと思いました。遊ぶといっても、なにもしなくていいのです。 広い空を眺めたり、川の音を聞いたり、落ち葉の匂いを嗅いだりしたかったのです。それに、 あのイチョウの木の下のベンチに座って鳥の声を聞いたりしたいのです。 今日みたいに少しばかり冷たい風の吹いているいい天気の日には、 時々イチョウの木の上からとてもいい声で歌う、一羽の鳥の歌を聞 くことができる時がある、ということを思い出しました。

 そんなことを考えながら、彼女はいつもみたいに履き慣らしたジーンズを履いて、 お気に入りのコートを着て、小さな本を一冊持って、そんなふうにあっという間に出かける用意をすると 、明るい色の靴を履いて家を出ました。それに今日は天気のいい日曜日でした。

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 その渡り鳥がイチョウの木のあったその小さな町に渡るのは、ちょうど一年ぶりでした。 何年か前まではもう少し山の中にある池のほとりで 秋と冬を過ごしていたのですが、そこはあまりに渡ってくる鳥が多くて、それからはもう少し町に出たのでした。  去年過ごしたその小さな町には、一本の大きなイチョウの木があったのです。 彼は去年そこで一冬を過ごして、いっぺんにそこを気に入ってしまったのでした。 なにしろとてもいい眺めでしたし、ギンナンの実もたくさんなっていました。 それにイチョウの木の枝で歌っていると、ベンチに座っている女の子がじっと自分の歌声に耳を向けている ということも時々ありました。それはなかなかいい気分でもありました。そんな事を考えながら、彼はまるで風に吹き上げられた 落ち葉みたいに、懸命に羽ばたいてゆきました。

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 彼女と渡り鳥がイチョウの木のあったところに着いたのはほとんど同時でした。 彼女はあやうく、イチョウの木のあったところを通り過ぎてしまうところでした。 あの白いベンチがなかったら、きっと彼女は通り過ぎてしまったでしょう。  「なに、たかが木が一本ないだけさ。」と言う人もいるかもしれませんが、彼女にして見れば イチョウの木のないそこの景色はあまりに寂しいものでした。他のもの全ては変わっていないのに、 たったひとつ何かが変わってしまうだけで、人によってはとても寂しい思いをするものです。 例えば、心の中に風が吹いてしまうような気分、 または好きな人が休んだ日の教室、他は一切変わっていないのになんだかがらんとした感じを受ける、 そんな学校の教室みたいな感じでした。

 そして、渡り鳥にしてもそうでした。あちこちに去年までなかった高い建物が建っていますし、 なによりあのイチョウの木がちっとも見当たらないのですから。あの白いベンチが見えなかったら、 きっと彼も飛び越してしまったことでしょう。

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 彼女はベンチに座ると、靴紐を結びなおしました。だってそうでもしないと、 あまり突然の出来事でだったもので、涙がこぼれそうだったのです。 そして渡り鳥 にしてもそうでした。ベンチの背もたれにとまると、くちばしをベンチにこすりつけました。 だってそうでもしないと、あまり突然の出来事でだったもので悲しい歌がこぼれそうだったのです。

 だからお互いの存在に気付いたり、ベンチの上のイチョウの葉と、転がっているいくつかの ギンナンに気付いたのは、少ししてからのことでした。彼女は少し考えた末に本のページを一枚破ると、 そこにギンナンを包みました。だって手に持つにしては、あれはあまりにも臭いものだからです。  そして渡り鳥の方はギンナンをくわえると、すうっと電線まで飛んで行きました。  それから彼女は、イチョウの葉の茎を指の先でくるくる回しながら電線と渡り鳥を見上げました。 今までベンチのその場所からは見えなかった、透き通って底の無いような、青い空が見えました。

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 しばらくの間、彼女と渡り鳥はそのままの恰好で何か考えているようでした。彼女は何か考えながら、イチョウの葉をくるくる回して空を見上げていましたし、 渡り鳥は渡り鳥で、何か考えながらギンナンをくわえていました。  しかしそれからすぐ、彼女はポケットにギンナンの包みを入れると、にっこり笑って渡り鳥をみました。  渡り鳥も嬉しそうに、明るい歌を歌いました。もっともそのためにギンナンを飲み込んでしまったのですが。

 そして彼女はイチョウの葉を胸に差して、そしてギンナンの包みのあるポケットに手をやって 家に帰りました。 渡り鳥もまっすぐに、山に向かって飛んでいきました。  もう白いベンチの上には、一枚の葉も、一粒のギンナンも落ちてはいませんでした。

 そして次の週には、ベンチもあっという間に取り壊され、どこかに運び去られてしまいました。

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 そして春になりました。あの大きなイチョウの木がどこにあったのか、白いベンチはどこにあったのか、 そのことも定かではないくらいに、 町並みはすっかり変わってしまいました。 イチョウの木があったところの上を、今は多くの自動車が行き来しています。

 しかし、大きな町のある家のベランダと、ある山の池のほとりで、それぞれイチョウの芽が顔をだしました。 その二つの芽は、距離は離れていますが実はいわば兄弟でした。

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 もしかすると今年の秋には、この家のベランダで一羽の渡り鳥が楽しそうな歌を歌うことになるかもしれません。  または今年の秋に、ハイキングに出かけた女の子がある山の池のほとりで、お弁当を食べるのかもしれません。







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