サリユクヒカリ

 丸ノコや電気ドリルや、曲尺や墨壷なんかを片付け終わったら、あとは掃き掃除をして今日の作業は終わりだった。



 床のフローリングの張り替えのアルバイトで、僕は郊外の小学校の図工室にいた。黒板には白いチョークで、「作業終了まであと1日」と大きく書いてある。 作業は順調に進んだから、張り替えは今日で全て終わり、明日は床一面、いや図工室中に積もっている木屑を掃除したり、 傷だらけで、所々に誰かの名前が彫刻刀で彫ってあったりする、大きな木の机をもとどおりに並べたりすれば、作業は全て終わりになる。

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 三階の図工室の西向きの窓からは、沈もうとしている大きな太陽と、それに縁取られた山の端、そして目を近くに落せば、校庭と、その向こうにある細い一本の川があちこちに光をまいているのが見える。  その川を見て、僕は幼い時のひとこまを思い出した。

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 僕が幼い頃住んでいた家のすぐ裏には、それほど大きくはない川が流れていた。町は川向こうにあったので、どこに行くにもその川を渡る必要があって、僕はいつもちゃちな橋を渡り、長い土手道を歩いて家に帰った。


 その日、買い物を頼まれた僕は橋を渡って町に行き、そしていつものように橋を渡り、土手道を歩いて家に帰った。川縁のその道は絶えず風が吹いていて寒く、僕は首に巻いた長いマフラーの中に息を吐きながら家まで歩いて帰った。 太陽はその日も、自分を支えることができないかのようにゆっくりと沈んでいっていた。


 その途中、一つの白い小石が、土手道の真中、僕の行く手にあった。僕は小石まで小走りで近づき、大きく足を振りかぶって蹴飛ばそうとした。


 しかし、見事に足は空を蹴り、僕の右足からは靴が飛んで行った。靴が大きく円を描き、スローモションのように飛んでいった先には川があった。チャプという小さな音を立てて、僕の小さな靴は夕焼けのオレンジ色の川の中に消えた。 靴は浮かんで流れるだろうと思ったけれど、あっという間に沈んでしまった。 川の中の靴の落ちたところの少し沖には、一羽の足の長い白い鳥がじっとしていた。


 白い鳥は川の中に片足で立ったまま、片一方は靴、もう片一方は靴下で近づいてくる僕のことを黙ってみていた。川に近づくと、僕の靴が川の底でゆらゆらしているのが、反射する夕日の隙間から見えた。

 僕は右足の、少しだけ土の付いてしまった靴下を脱ぎ、川の中に片足を入れた。 白い鳥が平気な顔で水の中立っているものだから、僕は何も考えずに勢いよく足を入れてしまった。

あまりの水の冷たさに、一瞬、息が止まる。
靴はすぐそこにある。
白い鳥は片足で立ったまま僕の目を見ている。
僕はなぜか目をそらすことができない。
その憐れむような目を見続けざるを得ない、長い長い時間。

実際はほんの数秒だったのだろうけど。


その状態のまま、僕は流れる氷のような冷たい水が、自分の足を撫ぜるしびれるような感覚を感じていた。

太陽の今日最後の光がまぶしい。





 そこから先は、全く覚えていない。あれから鳥はどうしたのか、靴はどうなったのか、僕はいつ水から上がったのか。

■ ■ ■

 校庭に目を移すと、鉄棒のところに男の子がいるのが見えた。鉄棒の近くには、黒いランドセルが無造作に投げてある。 どうやら彼は、逆上がりの練習をしているようだった。

 あと、もうすこし。 彼が逆上がりができるようになるのも、今日の光が去ってしまうのも。


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 木屑を箒で一所に集め、緑色の小さなチリトリでそれを大きな麻の袋に詰める。 いくつかの木屑が冬の乾いた風にさらわれる。 アルミの枠の窓から夕方色の光が斜めに射しこんでいて、光の通り道だけに埃が舞っているのが見える。



 チリトリを置いて校庭に目を落すと、さっきの少年が嬉しそうにランドセルを背負っているのが見えた。 長く伸びた影も、少年と一緒に嬉しそうに動く。 逆上がりができたのだろうか。

■ ■ ■

 西の空が、まぶしい。 川の上を西に向かう、隊を組んだ鳥たちの影が見える。

 そしてその川の土手道を、ランドセルの少年の影が、てぇーっと西に駆けていった。

 


 


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