プチトマト
11月12日 日曜日
秋の、朝八時の金沢の空はとても高く、その青い色は地面に近くなるにつれて、とびきり薄い水色に変わっていっていた。
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東京の自分のアパートを出たのは土曜日の夜だったのだから、ここまで一晩中走っていたことになる。 僕の体は火の消えた惨めなロウソクみたいに冷たくなっていたし、頭の中は、色で例えれば灰色の脳といった感じだったが、 いつか読んだ推理小説の主人公の言っていた、明晰な「灰色の脳細胞」とは程遠い、夏のあいだ陽に当たり過ぎた、でも今は冷え切っている万年塀のような感じだった。
そんな具合なので、僕は犀川の傍の小さな公園で、一休みする事にした。
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小さな公園の小さな駐輪場には、小さな自転車がニ台並んでいた。 その隣にオートバイを止め、自動販売機までゆっくり歩く。 冷たくなった体は、オートバイに乗った姿勢のままでで固まっていて、歩くのがギクシャクしているのが自分でも可笑しいほどわかったけれど、 そんな気持ちよりも、なにか温かなものを口にしたいという気持ちの方が強く、そのままの足取りで自動販売機へと向かった。
かじかんだ手でピンクに光るボタンを押すと、ガンガラガンという冷たい音と一緒に、百二十円分の温かさが落ちてきた。
公園のベンチに積もっているケヤキの葉を軽くはらってからそこに座り、手を温めながらそれを一口飲んだ。 砂糖も何も入っていないその缶コーヒーは少し苦く、それでいて、とても薄っぺらな味がした。
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その公園には、どこにでもあるような小さなブランコがニつと、支柱の赤い小さな鉄棒がニつ、そしてとても大きな一本のケヤキの木があった。 その根元には古臭いチェックの柄の敷物が敷いてあり、 自転車置き場にあった小さな自転車の持ち主と思われる子供がニ人、その上に座ってあそんでいた。 公園には、僕とそのニ人の子供と、何羽かの鳥しかいなかった。
どうやら二人はママゴトをしているようだった。 そして僕に背中を向けて座っているお母さん役らしき女の子は、弁当箱に茶色のケヤキの葉をさかんに詰めているようだった。 もう一人の、お父さん役かもしくは子供役の男の子は、せっせと葉を弁当箱に詰め込んでいる女の子の様子と、次々と舞い落ちてくるケヤキの葉を見ながら 「ご飯がたくさん降ってくるよ。」 と、けたけたと笑っていた。
弁当をすっかり詰め終わり、得意そうに振り向いた女の子は 「いってらっしゃーい。 お弁当を忘れないでね。」 と言って、詰めたばかりの、蓋の無い弁当箱を男の子に渡すと、僕の方を見てすこし驚いた顔をした。
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だんだん冷えてくる缶コーヒーと、だんだん温まってきた僕の手の温度が同じくらいになる頃には、冷たかった体も陽の当たるベンチに座っていたためにすっかり温かくなって、僕はなんだか眠くなっていた。
「お弁当、どうぞ」
いつのまにか僕は目を瞑っていたらしく、目を開けるとさっきの女の子が僕の前に立っていて、アルミの弁当箱を差し出していた。 ケヤキの葉があふれんばかりに詰めてあり、その隅に、プチトマトが3つ入れてあった。
11月の乾いた風が、地面に落ちているケヤキの葉と、弁当箱の中のケヤキの葉を、一緒くたに幾つか運んでいった。
「ごはんが飛んじゃってるよう。」
後ろから男の子が、木の下の敷物に座ったまま声をあげた。
「ありがとう。」
僕が弁当箱を受け取ると、女の子はほっとしたような顔で笑った。 ケヤキの葉の中のプチトマトは、落ち葉に覆われた湖の中の中で泳ぐ、小さな金魚みたいだと思った。
「いただきます。」
僕がプチトマトを口に入れると、後ろの男の子が 「それ、きのう僕が買ってきたんだよ。」 と大きな声で言った。 そのプチトマトには、ケヤキの葉の屑がついていたようだったが、それを出すのは二人に失礼な感じがして、そのまま食べてしまった。 温室で育ったと思われるそのプチトマトは思いのほか甘く、そして温かい色なのに、少しひんやりとしていた。
「おいしいね。」
男の子が口をもごもご動かしながら僕に向かってそう言った。 僕は笑って頷いた。
女の子は、「ごはんもどうぞ。」 と笑いながら言うと、スキップをしながらケヤキの木の下に走っていった。 温かい陽の光が辺りのものを包み込んでいた。
たとえ秋でも、陽の光とプチトマトはなんて似合うんだろうと思いながら、僕はまた目を瞑り、すこし眠ってしまったようだった。
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ふと気が付くと、もう太陽は真上近くまで昇っていて、時計の針は十一時を少しまわっていた。
ケヤキの木の下にはもう誰もいなかった。 二台の自転車も、敷物もなかった。 たぶんあの”お弁当”を持って、違う場所であそんでいるのだろう。
でも、僕の座っているベンチの横には、まだアルミの弁当箱が置いてあった。 ”ご飯”は大方飛ばされてしまっていたが、そこには新しい三つのプチトマトが添えてあった。
僕はそれを口に入れた。
するとまた、甘く、そして今度はすこしあたたかな匂いが口の中に広がった。
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