夏に転ぶ


■ ■ ■

 夜の道を散歩した。

 夕方の風は昼間の風とは打って変わってやさしくて、 Tシャツの腕やサンダルの足をすべってゆく。

 気持ちがいい。
 深呼吸する。
 わざとらしく大きく息を吐く。
 1回目やって気持ちがよかったから続けて2回やった。

 星は?と思って空を見上げる。  やっぱり、見上げても星はあまり見えない。  人通りのほとんどないこんな道でも、星を見るにはやっぱり明る過ぎるんだろうな。

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 お喋りをしているおばさんたちが、話す事に気を取られて 自転車や車の通りの邪魔になっているのをたまに見る。  そんな時はお喋りに気を取られていて、身の回りの事を忘れてしまうんだろうな。

 そんなおばさんたちと同じように、星のない空に気を取られていた僕は、 何かにつまづいて思いきり転んだ。

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 手をポケットに突っ込んでいた為に、とっさに手を着くことが出来ず、 鳩尾(みぞおち)からアスファルトの地面に着地してしまった。  続いて右の頬に地面が迫ってきて、ゴンッと鈍い音がした。

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 「やばい、手が出ない」、「手がポケットの中だ」、 「そういえば小学校の頃に、先生が朝の会だか何かで 「転んだ時に危ないので、手をポケットに入れたまま 歩いたり走ったりするのはやめましょう」って言ってたよな」

 つまづいてから倒れるまでの一瞬で、そんな事を思った。  「これが”走馬灯のように”っていう例のヤツだな。」とも思った。  だから転んだ時、ほんの少しの呻き声と一緒に、ほんの少しの苦笑いが出た。  腹部を打った為に呼吸が苦しい。  だんだんと楽になっていく呼吸の中で、小学校の廊下でも今と同じ事やったよな、と思った。  進歩してないな。

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 呼吸はどんどん楽になってゆく。  でも僕はまだ倒れたままだ。  それも、両手をポケットに突っ込んだまま。  アスファルトって、こんなに固かったんだ。  忘れてた。  いつも靴を履いて踏みつけているだけだから、そんなこと考えないもんな。

 Tシャツ越しに、そして打ちつけたままの右の頬を通して、 日中陽に温められたアスファルトの温度が温かい。  こんなに温かいんだ。  気付きもしなかった。  涼しい風が倒れたままの僕の背中を踏みつけ、温かいアスファルトが僕を受けとめている。

 これが炎天下だったら?
 雨上がりの後の炎天下に、アスファルトの上で暴れているミミズが目に浮かんだ。  そしてポケットに手を突っ込んだまま倒れている、今の僕とそれが重なる。

 今は夜だし、もうアスファルトは熱くはない。


 夜って、やさしいんだな。

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 しばらくして僕は立ち上がった。

 ズボンの埃を払う。
 頬から血が出ていた。
 口の中も切っていた。
 血の味がする。
 ああ、そうか、体には血が流れているんだ。
 忘れてた。

 口の中のその味がいやで、僕は地面に唾を吐いた。
無意識にそうしていた。
 さっきまで僕が腹ばいになっていた道なのにな、と思ったのは、 もう一度口の中が血の味になった時だった。

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   しばらく歩くと、メガネが斜めだという事に気がついた。  外して見ると、フレームが少し曲がっていた。  転んだ拍子に曲がってしまったんだ。

 僕はメガネを取ったままの目で空を見上げて、何気なく月を探した。

 低いところに、赤い月があった。
 メガネのレンズを通さないで見えるその月はぼやけていて、滲んでいて、 いつもより何倍も大きく見えた。  いつだったか、泣いた後に見た月みたいだった。

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「転んだ時だけ 気付くコンクリートの固さ」
     Prism : by Mr.children









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