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夜の道を散歩した。
夕方の風は昼間の風とは打って変わってやさしくて、
Tシャツの腕やサンダルの足をすべってゆく。
気持ちがいい。
深呼吸する。
わざとらしく大きく息を吐く。
1回目やって気持ちがよかったから続けて2回やった。
星は?と思って空を見上げる。
やっぱり、見上げても星はあまり見えない。
人通りのほとんどないこんな道でも、星を見るにはやっぱり明る過ぎるんだろうな。
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お喋りをしているおばさんたちが、話す事に気を取られて
自転車や車の通りの邪魔になっているのをたまに見る。
そんな時はお喋りに気を取られていて、身の回りの事を忘れてしまうんだろうな。
そんなおばさんたちと同じように、星のない空に気を取られていた僕は、
何かにつまづいて思いきり転んだ。
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手をポケットに突っ込んでいた為に、とっさに手を着くことが出来ず、
鳩尾(みぞおち)からアスファルトの地面に着地してしまった。
続いて右の頬に地面が迫ってきて、ゴンッと鈍い音がした。
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「やばい、手が出ない」、「手がポケットの中だ」、
「そういえば小学校の頃に、先生が朝の会だか何かで
「転んだ時に危ないので、手をポケットに入れたまま
歩いたり走ったりするのはやめましょう」って言ってたよな」
つまづいてから倒れるまでの一瞬で、そんな事を思った。
「これが”走馬灯のように”っていう例のヤツだな。」とも思った。
だから転んだ時、ほんの少しの呻き声と一緒に、ほんの少しの苦笑いが出た。
腹部を打った為に呼吸が苦しい。
だんだんと楽になっていく呼吸の中で、小学校の廊下でも今と同じ事やったよな、と思った。
進歩してないな。
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呼吸はどんどん楽になってゆく。
でも僕はまだ倒れたままだ。
それも、両手をポケットに突っ込んだまま。
アスファルトって、こんなに固かったんだ。
忘れてた。
いつも靴を履いて踏みつけているだけだから、そんなこと考えないもんな。
Tシャツ越しに、そして打ちつけたままの右の頬を通して、
日中陽に温められたアスファルトの温度が温かい。
こんなに温かいんだ。
気付きもしなかった。
涼しい風が倒れたままの僕の背中を踏みつけ、温かいアスファルトが僕を受けとめている。
これが炎天下だったら?
雨上がりの後の炎天下に、アスファルトの上で暴れているミミズが目に浮かんだ。
そしてポケットに手を突っ込んだまま倒れている、今の僕とそれが重なる。
今は夜だし、もうアスファルトは熱くはない。
夜って、やさしいんだな。
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しばらくして僕は立ち上がった。
ズボンの埃を払う。
頬から血が出ていた。
口の中も切っていた。
血の味がする。
ああ、そうか、体には血が流れているんだ。
忘れてた。
口の中のその味がいやで、僕は地面に唾を吐いた。
無意識にそうしていた。
さっきまで僕が腹ばいになっていた道なのにな、と思ったのは、
もう一度口の中が血の味になった時だった。
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しばらく歩くと、メガネが斜めだという事に気がついた。
外して見ると、フレームが少し曲がっていた。
転んだ拍子に曲がってしまったんだ。
僕はメガネを取ったままの目で空を見上げて、何気なく月を探した。
低いところに、赤い月があった。
メガネのレンズを通さないで見えるその月はぼやけていて、滲んでいて、
いつもより何倍も大きく見えた。
いつだったか、泣いた後に見た月みたいだった。
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「転んだ時だけ 気付くコンクリートの固さ」
Prism : by Mr.children
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