玄玄庵



 子供の頃に住んでいた場所を訪ねるのは、とても面白い。

 小さい頃、とてつもなく長くて、端から端まで行くのは大変な冒険に感じた駅前の商店街も、 今歩くと、そんなふうに感じていた幼い自分がなんだか可笑しく思えるし、同じ場所を同じ人間が歩いても、 時間が流れるとこんなに感じ方が違うのかと、不思議な気持ちにもなる。

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 妹が産まれる時だったか、僕は小学校二年生の冬の1ヶ月間だけ、この駅前のアパートに祖母と二人で住んだ事があった。 三階建てだったその古いアパートは、今は跡形も無くなって、こざっぱりした五階建てのワンルームマンションになっているけれど、 それ以外は僕の住んでいた時と町並みは変わっていないようだった。



 そういえば、踏切の傍にある魚屋の路地裏には、いつも愛想の悪い猫がいたっけ。 八百屋の脇のとても細い路地には、いつも道いっぱいに白い軽のトラックが止まっていて、 つきあたりの有刺鉄線のすぐ向こうに、赤茶けた線路と、その下の丸石や枕木が見えたっけ。

 いろいろな場面が浮かんでは消えてゆくが、どの記憶も鮮明なカラーではなく、すこし煤けて思い出されるのはなぜだろう。



 あ、そうだ、まだ玄玄庵はあるかなぁ。

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 祖母の家は三階建てアパートの、三階の角だった。  畳の部屋の窓は駅の通りと面していたので、商店街を歩くお年寄りや、人ごみの中を巧みに自転車を操る若い人がよく見えた。  また、そのアパート自体、線路沿いに建っていたので、電車の 「ファァァン」 と通り過ぎる音や電車がゆっくりと動き出す音、  「カンカンカンカン」 という無機質な踏切の声などがよく聞こえた。  寒い時期はいつだって、物や音の輪郭がはっきりしているものだ。


 そのアパートは学区域からすこし離れたところにあったが、そこに住む期間も短いということで、僕は踏切を渡って四十分も歩いて小学校に通っていた。  そして、それまではあまり変化のない住宅街に住んでいた僕は、 小さいとはいえ駅前の人や音や空気がとても新鮮で珍しく、またそのアパートは学校や友達の家からは随分と離れていたということもあり、僕は学校から帰ってくると寒いのも気にせず、 畳の部屋の窓を開けて外を眺めていた。

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 そしてある時、 「玄玄庵」 と書いてある小さな建物があるのに気がついた。 自分のいる窓から見ると、踏切を渡った対岸、つまり踏切と線路を挟んで斜向かいにそれはあった。

 いたって普通の建物で、人の流れを変える事もなくそれは建っていたが、その時の小学二年生の僕の心には 「すっとしている」 感じがした。


 「今までなんで気が付かなかったのかなぁ。 学校に行く時に、いつも前を通っているはずなのに。」


 僕はそう思いながら、夕方の人の流れと、下から昇ってくる買い物中のおばさんたちの快活な声を聞いていた。  下で生まれた音たちは、簡単に三階の窓まで昇ってくる。


 「明日、学校に行く時にちょっと見てみよう。」


 そう思って次の日を待った。

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 次の日、玄玄庵の事に気付いたのは、学校から帰ってきていつものように窓から外を見ている時だった。  踏切の向こうに、相変わらずそれは 「すっと」 建っていた。

 なんで気付かなかったんだろうと、その事をすっかり忘れていた自分に少し腹を立てながら、僕は踏切と線路を眺めた。

 いつも魚屋の路地裏にいる無愛想な猫が、ゆっくりと僕の視界の中を横切っていった。

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 その建物の前を通っているはずの時にはすっかり忘れていて、そして畳の部屋から外を見ると思い出す、という事を何回か繰り返しているうちに、僕は家に帰ることになってしまった。

 それからしばらくして祖母もそのアパートから引っ越すことになり、また自分の家からはもう一つの駅の方が近いという事もあり、 その駅や、駅の風景や人や音ともそれっきりになっていた。



 そして今日、久しぶりにこの踏切を渡る。

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 魚屋の前では、僕の知っている無愛想な猫そっくりな毛色の猫が、僕の顔を見てあくびをしている。





 さあ、この踏切を越えれば玄玄庵が見えるはずだ。

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