エイガニイチャン
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僕が初めて「エイガニイチャン」に会ったのは、とても寒い冬の日曜日だった。 「初めて会ったのは」と言っても、今思えば一度しか会った事がない。 小さな町の小さな映画館にまつわる、ほんの数時間の記憶。
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僕はその時、まだ小学校の低学年で、北海道の小さな町の小さな駅のそばに住んでいた。 駅の左隣には木造の小さな映画館があって、 上映中の映画の看板が、映画館とは思えない、 まるで銭湯のようなその入り口に立ててあった。 入り口を入ると、ちょっとしたホールのようなところがあって、 その真ん中に大きな石油ストーブがあった (そのストーブで作ってしまった火傷の跡が今でも左手の甲にある)。 ホールの突き当りには、お菓子の袋だの新聞だの老眼鏡だのが 入っているのが見えるガラスケースがあって、そこにはいつもほっかむりをした おばさんが立っていた。 そしてそのホールには黄色い色をした「ポップコーン製造機」のようなものがあって、 僕はよくそこにポップコーンを買いに行った。 トウキビの黄色い粒が、白い雲の破片のような形に 明るい音と共に一瞬で変わってゆく様子は何度見ても飽きなかった。 だから僕は映画を見るためではなく、ポップコーンを買うために映画館によく行った。
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エイガニイチャンにあった日も、僕はいつものようにニット帽(その頃 ケートノボーシと呼んでいた) を耳まで被って、中がフワフワしているブーツを履いて、 ギュッギュッと鳴る雪の上を映画館まで歩いていった。 その日は映画館のおばさんがいつもより明るい、なんだか違う顔をしている ような気がしたが、それはいつもと違ってほっかむりをしていないためでもある ということに気付いたのは、トウキビの粒がすっかりポップコーンに形を変える 頃だった。
「なんで今日はほっかむりしてないの?」
「今日はほら、エイガニイチャンの来る日だべさ」
エイガニイチャン? 何のことだかわからないままポップコーンを持ってストーブの傍に立っていると エイガニイチャンが、来た。
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僕はエイガニイチャンと映画館のおばさんとの会話をストーブの横で聞いていて、 エイガニイチャンについていくつかの事を知った。 彼が大学生であること。 映画を撮っていること。 毎年道内の映画館を回っていて 自作の映画を上映していること。 おばさんはこの映画館を毎年タダで彼に貸していること。 今年でここに来るのも3回目であるということ。 ポップコーンは歯に挟まるからあまり好きではないということ。
「来年は彼女を連れてくるって言ってたのに、今年も一人かい?」
おばさんが笑いながらそう言って、彼はえへへ、と言って笑った。
「もう23だろう? 早いねぇ、最初にここ来た時は二十歳だって言ってたもんね、 映画やらせてくださいって言ってきた時は。 早いねえ。」
「そうっすねぇ、もう23ですもんね。」
僕はそれを聞きながら、23歳になるってどんな気分なんだろうと思った。
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「映画、好きなのかい?」
僕は映画館の後ろの小部屋の前で彼にそう聞かれた。 そして、映画なんて本当はお正月くらいにしか見に行った事がないのに、小さな声で 「うん」と言った。 そして、ちょっと一緒に来て手伝ってくれないかと 言われて、上映の準備をするために、彼と一緒にその小部屋の中に僕は入ったのだった。 僕はエイガニイチャンが、手際よくフィルムをカシャカシャいわせたり、 彼がスイッチを点ける度にスクリーンに向かって光の帯が流れるのを見たりした。
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彼は準備を手際よく進めながら、色々なことを話してくれた。 最初に映画を見たのは小学校の低学年の頃だったということ。 何も考えずに並んでいたら知らないおじさんと一緒に映画館に入ってしまって、 そのおじさんがお金を出してくれたこと。 その時観た映画がとても綺麗な映画だったということ。 タダで貸してくれる映画館はここだけだということ。 今日やる映画は札幌で撮ったということ。 明日は釧路に行くということ。
僕はそれを聞きながら、いつもほっかむりしているおばちゃん がなんで今日はいつもより明るい顔をしているのかわかったような気分になっていた。
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それから僕は、手伝ったお礼にということで エイガニイチャンの映画を見せてもらった。 なにも手伝っていないのに、と思いながら僕は札幌で撮ったという映画を観せてもらった。 席は真ん中の列の、真ん中の座席だった。
まだ午前の1回目ということもあり、客はほとんどいなかったように思う。 そして映画の内容は、残念ながらほとんど覚えていない。 小さなアパートの畳敷きの部屋の場面が中心で、 エイガニイチャンと同じ位の年齢の男の人と女の人が気だるそうに動いていた。 もしかしたら悲しい映画だったのかもしれない。 そして、その畳の部屋の中でいつも真ん中に置いてある机の上には、一つのリンゴがあった。 くすんだ畳の部屋の中で、 そのリンゴはまるで偽物のような、とても綺麗な赤だった。 映画の最後の方で、その女の人はそのリンゴを丸のまま齧った。 決しておいしそうだとは思わなかったけれど、なんだかどきっとした。 僕はその場面で、おもわず唾を飲み込んでしまった。
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映画が終わってロビーに出ると、おばちゃんとエイガニイチャンが笑いながらしゃべっていた。 二人が僕に気付くと、おばちゃんの「ほら、ポップコーンこんなとこさ忘れてー。」という声と 、エイガニイチャンの「映画どうだった?」 という声が同時に向かって来た。 僕はポップコーンを受け取っておばちゃんにどうもありがとうと言い、 エイガニイチャンにはリンゴが赤くて綺麗だったと言った。 エイガニイチャンはなんだか泣きそうな顔をして「そうかそうか」と 言って何度も頷いていた。 僕はそれを見て不思議に思いながらポップコーンを口に入れた。 すっかり冷たくなったポップコーンはジャリジャリとした変な感じがした。 きっとエイガニイチャンは冷たくなったポップコーンを食べたから、 あまりポップコーンが好きじゃないんじゃないかと思った。 映画の中のリンゴはどんな味がしたんだろうと思いながら、僕はケートノボーシを 深く被り、映画館の出口の所で後ろをむいてさよならを言った。
「来年、またきっとくるからな。」
エイガニイチャンは片手でピストルを撃つ真似をしてそう言った。 僕は深く頷いてから、またねと言った。 外ではチラチラと雪が舞い始めていた。 僕はポップコーンに雪がかからないようにかばいながら外に出た。
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次の年、冬が来る前に、僕の家族は東京に引っ越した。 だからエイガニイチャンが次の年にあの映画館に来たのか、僕は知らない。
そして僕はこの冬、あの時のエイガニイチャンと同じ、23歳になった。
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